FGWUとはabout us
1955年6月2日、「八欧電機労働組合」として産声をあげた富士通ゼネラル労働組合は2020年に結成65周年を迎え、現在に至っています。会社の事業拡大/縮小などに連動し、最大で4,000人を超える組合員から成っていた組織は、今では2,000人を下回ってはいるものの、日本全国はもとより全世界に存在し、世界中のお客様と社会のために、今日にない明日を届けようと日夜奮闘する仲間の集まりです。
1956年、当時の電機労連(現:電機連合)に加盟し、1962年には大手企業内労働組合15組織からなる中央闘争委員会に名を連らね、電機連合に全富士通労連として一括加盟する2008年までの46年間、中闘組合としての責任を全うすべくみんなで努力してきました。
1960年に初めて締結した労働協約は、富士通労組のものを参考にしましたが、後の富士通の資本参加による業務提携が1984年ですから、その20年以上も前から富士通と関わっていたことになり、富士通との縁は労働組合が結んだものかもしれません。1967年にはゼネラル労働組合に名称変更、1985年9月に全富士通労連にも加盟、同年10月には「富士通ゼネラル労働組合」として再出発しました。
富士通ゼネラル労働組合の歴史は、幾度となく迎えた困難の歴史でもあります。富士通の支援がなければ、会社は瀕死からよみがえることはなかったでしょう。世界経済が低迷した2000年前後は、日本の多くの企業が構造的な改革を迫られ、多分にもれず富士通ゼネラルも変革無くして存続はない状況にありました。その時に会社が進めた「事業の集中と選択」は、労働組合に苦渋の決断を強いるものでしたが、その時の思いを決して忘れることなく胸に刻むことは、先人たちとのかたい、かたい約束となっています。
現在、富士通ゼネラル労働組合は「一人ひとりの暮らしをサポートする『世話焼き』活動を推進」を運動方針の一つとして掲げ、共済の加入促進にも注力しています。1993年の電機連合のけんこう共済アシストの導入にあたっては、保障内容の説明を徹底しておこなったところ、当時の組合員数約4,000人に対して、約半年で1000件近い申し込みがあり、導入条件をらくらくクリアできました。他の労組には真似できない圧倒的な好成績をおさめたのは、「一人はみんなのために、みんなは一人のために」を実践する組織でありたいとの強い思いによるものです。また、一人ひとりが日々の仕事を通じて成長を図り、自ら人生を切り拓いていけるよう促す運動も大切にしています。2000年前後の辛酸は、「強者からの保護や手当を求める」から「自律した強い個人を目指す」へと私たちの意識を変化させたのです。
「執行部/機関委員」と「職場/組合員」との接点をずっと大切にし、時代に対応する進化を遂げようと努力してきたのが富士通ゼネラル労働組合です。時代は変わり、つながる手段はデジタルで多種多様になろうとも「職場との接点の充実」は、その変化する時代への対応の観点でも、私たちが大切にするものとして、決して変わることはないことでしょう。